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バブル崩壊後。
さてコピーは、どうなった?

岡田直也

昨月、バブル時代のコピーワークについて考察を試みましたが、
じゃあ、そのバブルがはじけてから、どうなったんだろう?
今回の特集は、そんなお話です。

ここでまた、誠文堂新光社刊「TCC広告年鑑1994」を見てみよう。
巻頭には、仲畑貴志さんが、
「バブル破綻を受けて、手堅い広告・完成度の高い広告」
が目立ったと、書いておられるのですが、
たしかにいま見返してみても、それはうなずけます。

1.そうだ 京都、 行こう。(JR東海)

ちょっとここらで立ち止まって、
みずからのアイデンティティーを確認してみる。
そんな時代的な意味もさることながら、
とにかく完成度は、バツグンに高い広告ですね。

2.夢とか、決意とか、見えないものも乗せている。(JR九州)

広告主がおそらく訴求したかったこと~便利・快適・迅速~
とは真反対の世界観です。
こういう切り口のほうが、ファンを増やせるに決まっています。

上記2本を代表作として、
ひとの気持ちに寄り添うような表現が多いんですね、この年は。

3.話そう。(トヨタ 企業広告)

トヨタの現行エコ路線の出発点。そんな感じがします。
環境への取り組みを、低い目線で語った新聞広告。

4.きれいなおねえさんは、好きですか。(松下電器産業)

そう聞かれて、ノンと答える人は、いないでしょう。
これおそらく、小学生にもちゃんと伝わった。
そして今でも、機能しつづけていると思うのです。

5.ゆっくり恋をしよう。(サントリー ウーロン茶)

CMの舞台は中国。ど真ん中を押さえているので、
競合他社は、そこに踏み込むことができない。
毎日飲んで、キレイになろう。
そんな言外のメッセージ、受け取れますね。

こうして見てみると、たまたまかも知れないけど、
この年の優秀作には、「提案スタイル」が多いことに気づかされます。
急がずあせらず、ゆっくりギアチェンジしてみようか・・・。
バブルという宴のあとは、まさに世のなか、
そんな気分だったんじゃないかなあ、と思います。

かたや、バブルの残滓みたいなコピーも、ありました。

6.総理、関西だけでも景気回復せんやろか。
(日経 法人土地活用セミナー&相談会のポスター)

たぶんこの総理は、村山さんのことかな。
当時東京にいたぼくは、「なんと虫のいい」と思った覚えが。

7.祈・景気回復(豊島園)

これは、ぼくの仕事です。
フライング・パイレーツに、このコトバのデカい懸垂幕。
それに向かい、みんなが手を合わせている、というものでした。

でもこれらは、もはや少数派。
もう昔のことはさっさと忘れて、そろそろ次、というモードに、
みんなが入っていったんだ、と思います。

この‘94のまとめとして紹介したいのが、この一行。

8.消費者は、上手に起こされるのを待っています。
(電通 TCC広告年鑑巻末の広告)


ところが!
翌95年には、2つの「大事件」が発生します。
ひとつは、1月17日の「阪神淡路大震災」。
もうひとつは、3月20日の「地下鉄サリン事件」。



(阪神淡路大震災から22年)

バブルのころは、
「世の風潮はこうだけれども、こっちのほうがほんとうなんじゃないか」
というスタンスをとっていた我々も、
さすがにこういう大事件を目の当たりにすると、
世のなかとの距離のとりかたに悩んでしまったのではないか。
すごく近くで起こったことなのに、なぜか遠くのことのように思えたり、
また逆に、遠くのことがとても身近に感じたり。

のちの「東日本大震災」のときにはなおさら、
似たような感覚におそわれたものです。
あの当時、巷にあふれた「絆」みたいなコトバが、
なんの意味もなさない空言であることを、
コピーライターという人種は、よくわかっていたと思います。

(もちろん、人さまざまであることは断っておかねばならないものの)
そこでぼくらは、世のなかの最大公約数を求める、
みたいな作業を放棄した。そこは、判断停止とした。
そして、実際に起こったことを、
コピーライター個人のストーリーへと翻案したのではないか。
だからコピーも、個人から個人へ、というカタチに変貌していった・・・。
この‘95あたりから、そういう流れが出来てきたのではないか。
どうも、そんな気がしてならないのです。

というような感じを、みごとにCMに昇華させた作品がありました。
「阪神淡路」の直後にオンエアされた、ACのCMです。
ビジュアルは、被災地の貼り紙。
そこには、「水 自由に使って下さい」の手書き文字。
カメラ固定の映像に、こんなオフナレーションが入ります。
「TCC広告年鑑1995」より引用します。

 9.S:阪神大震災被災地
   N:水、出てるよー、水、
     持ってってぇー。
     そやけど生で飲まんといてなー、
     ポンポンこわすよってに。
     水、水出てるでー、
     持ってってぇー。
   SE:ジャーッ
   N:そやけど、生で飲まんといてなあー。
     水、出てるよ、水、
     持ってってぇー。

N+S:人を救うのは、人しかいない。


どうですか? 象徴的、かつ不朽の名作だと思いますね。
これは、制作者の自主提案。
広告業界では、もはや伝説になっています。   


さてこの「個人化」、じつはもうひとつの大きな流れが、
確実に、後押しをしました。
それはいうまでもなく、「PCとインターネットの普及」です。
これによって、マスからパーソナルへと、
メディアじたいの変質が始まった。
そんなことを受け、いかに全国区でCMを打とうとも、
メッセージは、パーソナルなものが卓越するようになっていった・・・。
まあ、このことについては、別テーマで、
あたらしい特集が組めるのかも知れません。


ではふたたび「TCC広告年鑑1995」「同1996」に戻って、
「災後」の秀作を、紹介していくことにしましょう。
ちなみに仲畑さんのコメントは、
「現在の生活者の心の中へのつぶやきに触れている」でした。

10.恋は、遠い日の花火ではない。(サントリーオールド)

当時、中高年へのエール、と話題にもなりました。
まあたしかに、若い人にはあまり響かなかったと思う。
でも、ウィスキーでなくては成り立たない世界観です。

11.愛だろっ、愛。(サントリー カクテルバー)

愛というのは、とてもベンリだけど、とてもあやふやなコトバ。
さらに、この一行もいろんな味わいかたが可能です。
それでもカクテルには、愛という一語がよく似合う。

12.Hungry? (日清カップヌードル)

これは、つぶやきというより、
それこそ最大公約数的なつかみかたをしてますけれど。
この広告が、海外の賞まで総ナメにしたことも、伝説です。

13.フジテレビが、いるよ。(フジテレビ)

これ、もっともわかりやすい「つぶやき」ですね。

14.人は誰でもミスをする。(メルセデスベンツ日本)

この時期は、クルマの広告が大きく変貌しました。
訴求点が「安全」へとシフトしていったのですね。
ビジュアル表現も、とても優しいトーン、でした。

15.ベネトンのいちばんちいさい服。
   ぜんぶ脱いだあとに着るベネトン。
(オカモト)

これ、ベネトンブランドの広告です。
ミニマム志向・かわいい趣味にあふれていますね。

16.「真夏です」と言っているのは、温度計だけでした。
   ブルッときたのは、寒さのせいだけかなあ。
(JR東海)

「京都キャンぺーン」CMの、ナレーションです。
長塚京三さんの声が、いまだ聴こえる気がします。

17.私は、男の人を、ふったことがないのです。
   キスというものを、ここしばらく、していない。

   (尼崎総合文化センター結婚式場)

ここに至っては、パーソナルの極み、ですね。
結婚式場のコピーとしても、革新的でした。

もうひとつ、これもCM中のナレーションなんだけど、
ぼくがどうしても忘れられないものを、ご紹介。
矢沢永吉さん出演の「サントリーBOSS」の一篇です。

18.(矢沢さん、会議中にとつぜんドアを開け)

あのー、すみません、
仕事ばーっかりしていると、
社長になっちゃいますよ。


会心の皮肉、ってところでしょうか。大好きです。


こういうふうに眺めてくると、
バブル崩壊と、そのすこし後の「震災」「サリン」を境にして、
広告表現、とくにキャッチフレーズの流れが変わったのでは、
という気がしてなりません。
それは、クライアントの要請もあったかも知れないけど、
制作者の意識の変化のほうが、要因として大きいと思うのです。

コピーライターというのは、とにかく「考える生き物」。
大きな出来事が起これば、それをいったん自分のなかに取り込み、
ビミョーに距離を測って、咀嚼する。あるいは、はね返す。
なので、「コピーは時代の鏡」というよりは、
その時代に生きる人たちのメンタリティを代弁しながら編みだされた、
「よくぞ言ってくれた」メッセージ、としていいのかも知れません。



(東日本大震災から6年)

さてさて。
その後の広告シーンの変化・コピーの流れについては、
まだどうも、歴史的に分析・評価できないようです。
ただ言えるのは、この「宴の後」「災後」にできた流れが、
基本的には、現在までつづいている、ということ。
(あの「東日本大震災」、あたらしい価値観に切り替える
最大の契機だったのに、じつはなにも変わらなかった日本!)

でも、気づいてはいるんですが、
ネット・スマホの普及、マスメディアの崩壊にはじまり、
AI・IoTなどの超デジタル化などへとつづく「外的要因」によって、
広告メッセージは、コピーワークはどう変わったか、のようなことが、
次の歴史を編むテーマになっていくんでしょうね。

それには、もうすこし時間がかかりそうです・・・。

執筆者:岡田直也
CMは、世の中の動きとまさに連動しています。イケイケの時は
勢いがいいし、沈滞してるときはどこか内省的になったりする。
そういう意味でCM観察とは、立派な社会学・考現学といえます。
それとは対極の「神はディテールに宿り給う」。これもまた事実。
些細な演出の妙など、作り手の意志が際立つ場合も、あるのです。
そう、CMの観かたは、大所高所から重箱の隅にいたるまで無限。
ぼくらがそれを、いろんな角度から提示できれば、と思ってます。

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