Room708
名づけて「直也の部屋」。 編集長が、プロフェッショナルな立場から、広告を語り尽くします。

無記名、のち記名の仕事人生(マジメかっ) 1

2017/01/26

「じぶんの署名入りで、世の中と関係をもちたい」

20代のころから、ずっとそんな気持ちを抱きつづけてきました。


ぼくが生業にしている広告とは、基本的に無記名のもの。

発信の主も、いざというとき責任をとるのも、すべて広告主です。

だから、一般の人たちにとっては、コピーライターやデザイナーが誰であろうと、

そんなことはどうでもいい、わけです。

もちろん、業界のなかでは、あいつが仕掛けたとか、こいつが書いたとか、

けっこう知れ渡ってしまいますが、それはしょせん、狭い世界のこと。

制作者は、ゴースト的な存在。それが、広告というものです。


ちなみに、広告とアートの大きな違いのひとつが、そこにあるのでは、と思います。

アートって、誰がつくったかが、どまん中にきますからね。


そうなんです。広告制作者は、記名の義務がない。それはとりもなおさず、

責任を負わずともよい、ということでもあるんです。


たとえば、ある企業のある商品が、広告を大量に投下したにもかかわらず、

売り上げは散々、ということがあったとします。

そうすると、その企業の担当者や責任者は、

飛ばされるか、へたするとクビ、になるかも知れない。

ところが、制作者の身には、ほぼなにも起こらないのが常。

お咎めといっても、せいぜい担当をはずれるくらいなもんです。


この「責任を負わない」あるいは「責任をとらない」というスタンスが、

広告制作者の本質である、といっても過言ではないでしょう。


責任から逃れていると、ご都合主義、日和見主義に陥ります。

今日、ある企業にプレゼンで語った正反対のことを、

明日、別の企業の打合せの結論にすることだって、平気でできちゃいますからね。


なんか、すごい自虐的な物言いになってしまったけど、

そういう、根なし草のような存在が、まわりにけっこういたんです。

それが、ぼくはとってもイヤだったんですね。

自分の名前が書いてあれば、そうはならないだろう、ってね。


                       (つづく)



岡田直也
1955年東京生まれ、札幌育ち。
現在の本拠は大阪・南堀江。
東京・大阪・札幌各コピーライター
ズクラブ会員、エンジン01文化戦略
会議会員、甲南女子大学講師。
各地に私塾を開催、若手の育成にも
力を注ぐ。また年に一度のライブに
命を燃やすミュージシャンでもある。