Room708
名づけて「直也の部屋」。 編集長が、プロフェッショナルな立場から、広告を語り尽くします。

広告の文章作法、そりゃあ勉強しました

2016年02月16日
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なつかしい新人時代のエピソードを紹介したイキオイで、

「ぼくが書いたものが、はじめて世の中に出た!」・・・

こんどは、そんなところから、話をはじめようと思います。


初掲載。これは、ほんとにうれしいもんです。

忘れもしません。配属されて間もないころ。

東芝のオーディオの広告で。メディアは「スイング・ジャーナル」でした。

掲載とはいえ、じつは先輩が書いたもののリライト、なんですけど。


最初のほうは、そういう仕事ばっかりでした。

当時はいまよりずっと、グラフィック媒体の仕事量が多かった。

たとえば、雑誌って、それぞれサイズがちがう。

サイズがちがえば、ボディコピーの文字数も、必然的に変わってくる。

そうすると、リライトの仕事は新人の出番、ということになるのですね。


でもね、そんなリライトをとおして、広告の文章作法を叩きこまれた。

ほんとうに、そう思います。むしろ、感謝しています。

当時、ボディコピーは四角いブロックに組むのが主流で、

「グレースペース」とも呼ばれていました。

ひどい言われ方ですが、デザインをきっちりキメる一要素とされていたんです。

デザイナーによっては、「ここに2000文字書いて!」とか、

平気で言ってくるわけで。

そう、リライトで難しいのは、文字数を増やすことなんですね。

でも、いろいろ工夫しました。増やした部分で、ぼくらしさを主張しよう、とか。


そんなこんなで、どこで行替えするか、ここは漢字かひらがなか、など、

ぼくのスキルは磨かれていったんだな、と思います。

いまでも、そんな細かいところは特に、ぼくの得意技になっています。


さらに当時は、写植・版下の時代。

ひらがな、カタカナ、漢字それぞれ、活字の幅が違うんですね。

たとえば1行30文字として、ひらがなが多い場合は、3文字くらい増やす。

逆に漢字ばかりが並ぶ場合は、2文字くらい減らす。

そんなこと、やってました。慣れてくると、狙いどおりに上がるもんですよ。

それも、コピーライターのたいせつな仕事だったわけです。

昨今のような、半角・全角なんて概念は、まったくなかった。

すべてがファジーな、アナログ世界のお話です。


今でもまあ、文字数合わせの技術といったら、ぼくの右に出る者はいない。

ホント、そう自負しています。


でも思い返してみると、大学受験のときに、

その技術は、ある域に達していたかも、なんですね。

国立の2次試験で、たとえば世界史の「200字で書きなさい」みたいなやつ。

ああいうの、頭に浮かんだことから下書きなしにマス目を埋めていき、

さいごのマスは、ぴったり「。」で終わる。

これが、ほんとに特技のようにキマッていたのですね。


やっぱり、物を書く仕事って、ぼくの天職、なんでしょうねえ・・・。

岡田直也
1955年東京生まれ、札幌育ち。
現在の本拠は大阪・南堀江。
東京・大阪・札幌各コピーライター
ズクラブ会員、エンジン01文化戦略
会議会員、甲南女子大学講師。
各地に私塾を開催、若手の育成にも
力を注ぐ。また年に一度のライブに
命を燃やすミュージシャンでもある。