Room708
名づけて「直也の部屋」。 編集長が、プロフェッショナルな立場から、広告を語り尽くします。

コピー地獄

2016年03月17日
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もう30年も前のことだから、時効成立、と思うので、

今回は、こわいこわい「コピー地獄」の話、書いてみようと思います。


忘れもしません。トヨタマークⅡの仕事でした。


当時、マークⅡといえば、トヨタにとって、オーナーカーの代表格のようなもの。

もちろん車格としては、クラウンが上に君臨するのだけれど。

(そしてその上には、「センチュリー」ですね)


そのマークⅡと、兄弟であるチェイサー、クレスタ3車種の扱いをめぐって、

代理店のあいだで、激しい競争がくり広げられていたのです。

(チェイサーは「走り」、クレスタは「個人主義」と、3兄弟も差別化がきっちりしていました)


あの頃はとにかく、「いかに言いあてるか」が求められていた時代。

毎回の競合は、「コピー勝負」だったのです。

どの代理店も、必死でした。だって、扱い高はなんてったって、大きいからね。


で、いつぞやのプレゼン前、当時のウチの室長が、大号令をかけたんです。

コピーライターがぼくを含め3~4人集められ、とにかくコピーを書きまくれ、と。

会社でもホテルでも、好きな場所でとにかく書いて、3時間ごとに集合してチェックを受けろ!

という、ものすごいタスクを課されたのです。

夕方からはじまって、深夜、翌日の早朝、午前中・・・。

3時間ごとのミーティングは、たぶん6~7回に及んだんじゃなかったかな。


もちろん、手なんて抜けない。ほかのコピーライターには負けられないし。

ぼくはホテルを選んだのだけれど、ベッドがあるのに寝るわけにいかない。

いや、試練でしたね。こういうとき、ホテルは選んじゃいけない、ということですね。


でも最終的に、ぼくの書いた「時代の正面。」というのが勝ち残ったんです。

「言いあて」としていちばんいい、と判断されたわけですね。

それで、得意先からも一発でOKが出て、無事にGO、ということになりました。

やれやれ。


いやいや、後にも先にもあんな経験、ないですわー。

逆にいえば、あの頃はいまよりずっと、コピーライターがたいせつにされてたんだなあ・・・。

それに伴ってか、クルマ広告のつくりかたも、いまやすっかり変貌を遂げました。

すくなくとも「言いあて」という発想じたい、あまりしなくなりましたからね。

ちょっと、隔世の感があります。


ただ、この「コピー地獄」の月、ぼくの残業時間は250hを達成!

当時は残業つけ放題だったから、翌月の給料が自分史上最高を記録したんです。

これも、いまだったら考えられないことですね。


まあ、不眠自慢、残業自慢ってことじたい、いかにも昭和な話ではありますが。

でも、ぼくにとってはいい想い出、というか武勇伝、ですね・・・。








岡田直也
1955年東京生まれ、札幌育ち。
現在の本拠は大阪・南堀江。
東京・大阪・札幌各コピーライター
ズクラブ会員、エンジン01文化戦略
会議会員、甲南女子大学講師。
各地に私塾を開催、若手の育成にも
力を注ぐ。また年に一度のライブに
命を燃やすミュージシャンでもある。