Room708
名づけて「直也の部屋」。 編集長が、プロフェッショナルな立場から、広告を語り尽くします。

なつかしの「コピー競作」、まだありました!

2016年03月20日
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そうそう、ひとつ思い出してしまった。

「コピー地獄」とはいかないまでも、社内のコピー競作、まだあったな。


むかし、「日刊工業新聞」や、「日経産業新聞」主催の広告コンペが、あったんです。

それぞれの新聞の特性に合わせ、業界向けの広告案を審査するものでした。

いま風にいえば、早い話がB to B、ということですが。

そのころは基本的に、制作の現場は、B to Cしかなかったと思うんです。

なので、こういうコンペに参加することは、ぼくにとってとても新鮮でした。

ただ、とても作法がむずかしい。逆に、高度なクリエイティブ力が問われるのです。

制作者としての力量が試される機会、でもあったんですね。


あれは、入社2~3年めのことだったか。

ぼくの所属していたチーム(ボスの名を取って、宮崎チームとよばれていました)が、

東芝をおもに担当していたということもあって、

賞への応募のまえに、東芝の了解を得、掲載までもっていってもらわねばならず、

まずそのプレゼン用のアイデアを、コピーライターが呼ばれて書かされた、というのがありました。


すっかり忘れてたんだけど、思い出しましたわ。


コピーライターは、社外もふくめ7~8人はいたでしょうか。

大きな会議室の一段高くなった壇上からCDが見下ろすなか、

ぼくらは、さながら講義を聴く生徒たちのように並んで座り、ひたすら書く。

そして、これは!という一行ができたら、壇上にあがってCDに見てもらう。

そんなこと、やったわけです。


いや、あれはむしろ、楽しかったな。

ぼくは最年少なので、プレッシャーなんてないし、すごく気が楽だった。

むしろ、面白いもの書いて、目立ってしまおう、くらいの感じで臨んでいたから。


たしか商品は、コピー機などの、OAと呼ばれていたものでした(OAって、死語だね)

で、その社内競合の結果がどうなったか、とか、

自分の書いたものがどうなったのか、とか、そのへん記憶にないんですよ。

まあ、自分のがもし掲載されていたら、憶えてもいるんだろうけど。

まあ、成果はなにもなかった、のでしょう。


でも、あのころの東芝は、元気でしたよ。

コピー機は「レオドライ」、ホームビデオが「ビュースター」、冷蔵庫が「快速冷凍」北斗星・・・。

まさに、シロモノ天国でしたっけ。

でもここだけの話、他の制作室でSONYとかやっていて、

「カッコいいなあ、羨ましいなあ」なんて思ってたんですよ、ほんと。


30年以上もまえは、そんな感じ。

だって、東芝の本社が浜松町に移るまえの話だから、そうとう古い、ってことですね。


その東芝もSONYも、今や・・・ねえ。










岡田直也
1955年東京生まれ、札幌育ち。
現在の本拠は大阪・南堀江。
東京・大阪・札幌各コピーライター
ズクラブ会員、エンジン01文化戦略
会議会員、甲南女子大学講師。
各地に私塾を開催、若手の育成にも
力を注ぐ。また年に一度のライブに
命を燃やすミュージシャンでもある。