Room708
名づけて「直也の部屋」。 編集長が、プロフェッショナルな立場から、広告を語り尽くします。

では、マイ就活バナシを。 1

2016年05月25日
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前回みたいな話までいっちゃうと、もう先がない感じ、ですね。

書くところまで書いたな。

では、針を思いきり、反対方向に振りきるしかないな。


ということで、いきなり原点回帰。「なぜコピーライターになったのか」を書こうか。

いろんなところで、よく聞かれるからね。


基本は、中高をとおして、いわゆる「文学少年」だったこと、なんだろうなあ。

ハマった作家が、何人もいましたっけ。

中学のころは、芥川ばっかり読んでいた。漱石、鴎外にも、挑戦したなあ。

高校になると、大江健三郎、庄司薫、福永武彦、辻邦生、柴田翔、にハマっていった。

海外の作家としては、サルトル、カミュ、カフカですね。当時流行っていたからね。


大学生になると、小説はあんまり読まなくなったんだけれど

澁澤龍彦だけはこよなく愛したのでした。

まあ、そんな読書遍歴が、あるんですね。


あわせて、中高のころは、詩まがいのものも書いたりしていましたね。

とはいえ、朔太郎や中也の完全なる影響下。まがいもん、でした。

当時のもの、とってはあるんですが、いま読み返すと、ハズカシイもんです。



ということで、就職活動をはじめるにあたって、

書く仕事、あるいは書くことに寄り添う仕事、というのが、大前提になったのですね。

となると、出版社か、新聞社か、はたまた広告代理店でコピーライターか、という選択肢。

いわゆる、当時のマスコミ業界、です。

加えて、スーツ着てネクタイ締めて、はイヤだったんで(ここ、こだわったんです)、

ひとりよがりなんだけど、そういうふうに方針を立てたのです。


バンドをずっとやっていたんで、音楽業界にも、ちょっと興味がありました。

いくつか説明会にも行ってみたのですが、あのころはちょうど、CDが普及する前で、

業界は不調。人事担当が、とても弱腰でしたね。あまり魅力を感じなかった。

それから、本命の出版社なんですが、これがまた狭き門。

大手でも、10名くらいしか採用枠がない、という状況でしたね。

となると、間口が比較的広い広告代理店が現実的かな、ということになる。

ただ、応募数も多いんで、倍率は高かったと思いますが、まあ、運よく入ることができた。


博報堂の提出書類と面接では、「コピーライターになりたい!」と叫びつづけました。

自分を売りこむネタとしては、「文学少年」はちょっと封印して、

中学からやってるバンド活動と、油絵(先生について習ってました)と、

地域のボランティア活動の人形劇団・・・(じつに、いろんなことやっていたんです)。

つまり、書くことじたいが好き、というより、そのコンテンツが豊富である、

表現活動を日頃からずっとやっている、みたいなことを、とにかくアピールしました。


まあ、いま思えば、おそらく青臭いことを並べていた、とは思うけれど、

人柄のよさ(ハッハッハ)も手伝ってか、高い倍率をクリアできた、というわけです。


岡田直也
1955年東京生まれ、札幌育ち。
現在の本拠は大阪・南堀江。
東京・大阪・札幌各コピーライター
ズクラブ会員、エンジン01文化戦略
会議会員、甲南女子大学講師。
各地に私塾を開催、若手の育成にも
力を注ぐ。また年に一度のライブに
命を燃やすミュージシャンでもある。