Room708
名づけて「直也の部屋」。 編集長が、プロフェッショナルな立場から、広告を語り尽くします。

かくて、第一志望に入社!

2016年05月31日
このエントリーをはてなブックマークに追加

かくして就職先は、博報堂に決まり。

卒論をギリギリでとおしてもらって(ホント、ヤバかったみたいです)、なんとか卒業。

まずは、3月の入社前研修にのぞみました。


軽井沢の別荘地にある研修所で、2泊3日だったかな、座学とグループワークをみっちり。

なにしろ、料理が本格的なもんで、その後のいろんな研修のときにも、

けっこう楽しみにしてた憶えがあります。


そして4月1日以降は、1か月におよぶ、新人集合研修。

講義、実地見学、クリエイティブテストなどなど、もりだくさんのメニューでしたね。

とくにクリエイティブテストはね、2~3回やったと思うんだけど、

制作部署への配属がかかっていたもので、それは真剣に取り組みました。

当時は、制作志望がいまよりずっと多く(7割くらくぃだったかなあ)、たいへんな競争。

だから、テストだけでなく普段からも、「制作いきたい!」は、アピールしつづけましたよ。


でも、アフター5や休日は、新しくできた友達と、とにかくよく遊んだなあ。

ゴールデンウィークなんか、ほとんど家に戻らなかった。

大学の時につきあってた連中とは、まったくちがうタイプに接してるのが新鮮で、

急に世界がひろがったような気になりましたっけ。



で、その5月、ほんとにラッキーなことに、コピーライター候補として、制作に配属決定。

(あとで聞いたら、長文の出来がとてもよかった、とのこと)

行き先は、出版・公共・海外広告をおもに扱う制作室、でした。

でも正直なところ、ちょっとガッカリしたんです。

というのも、当時3Sといわれたサントリー・ソニー・資生堂の仕事ができるところは、

同期にとられてしまった! 負けた! って思っちゃったから。

でも、それがぼくの、まず最初の発奮材料になったのではないかな。

なんせ、配属のあいさつで、「公共広告を変えてみせる!」なんて、口走ったからなあ。


まあとにかく、制作マンとしての、ぼくのスタートは切れたわけですね。


それで、その5月、6月をとおして、ぼくにとってのだいじな課題がひとつ、ありました。

それは、「どうやって服装をくずしていこうか」ということ。

これ、周りを見ながら、かなり慎重にすすめましたよ。

まずカラーシャツにし、それからネクタイをやめ、ジャケットもやめ・・・というふうに。

7月くらいになると、GパンTシャツ、で通うようになっていたんです。


ここに至ってはじめて、「マスコミ業界に行く」「書く仕事に就く」「ノースーツ・ノーネクタイ」・・・

つまり、ぼくの「就活三原則」はすべて達成された、ということですね。

まあ、われながら首尾よし。よくやった! って感じでしょうか。



しかしですよ、もし仮に、前回書いた「ファッションコーディネイター」の道を選んでいたら、

いま何やってるんだろ。おそらく全くちがった人生になっていた、と思うんです。

(モデルに囲まれて酒池肉林かって? なわけねーだろ!)

あるいは博報堂の新人配属で、営業とかになっていたら・・・。


いや、結果、ちゃんといいほうを選び取ってるんですよ。

会社がぼくの採用や配属を決めたのではなく、ぼくが選んだ。うん、そうにちがいない。

天性のポジティブ思考人間は、そう考えることにしているのです。

それが証拠に、いまこの歳までずっと、コピーライターをつづけてることに、

なんの不満も後悔も、ないんだからね。


アナザーワールドは、ぼくにとって存在しません。

これはかなり、シアワセなことなんだろうな・・・。


岡田直也
1955年東京生まれ、札幌育ち。
現在の本拠は大阪・南堀江。
東京・大阪・札幌各コピーライター
ズクラブ会員、エンジン01文化戦略
会議会員、甲南女子大学講師。
各地に私塾を開催、若手の育成にも
力を注ぐ。また年に一度のライブに
命を燃やすミュージシャンでもある。